シン・キセキノオヤジ物語!〜 今でも、僕は 〜

あの幻のブログがレベルアップして帰ってきました!その名も「キセキノオヤジ物語!(ストーリーズ)」主にオヤジが日々バスケでメチャときめいたことを書く!「キモっ」言うな〜 (^^;) デンちゃんって呼ばれてますw ★下段のコメント欄への感想が少ないとボツ企画になっちゃうぞ。コメントあっほうが頑張っちゃうよ〜(´。`)

なぜ、ブログを書き続けるのか?

みなさんこんにちは、DENです。

 

 

早いもので、上木ガッツに入団してから4年が経ちました。長男が1年の冬に上木ガッツに入団したのですが、当時悲しいことに団員が激減する出来事がありました。3月末頃には25〜6人くらい居た部員は半分くらいになっていました。

 

 

入団してすぐの出来事だったので、団内で何が起こっていたのか全く知りませんし、誰に聞いて良いかもわかりません。ただ一つ悟ったこととして、親同士の不仲や意地の張り合いは、いろんな悲劇を生み出すということでした。

 

 

このような悲劇で最後に泣くのは子供達です。子供達はいたって仲良く、楽しくやっているのですが、急に退団させられることになります。

 

 

3月に入り、昨日も一人、今日も一人とガッツを辞めていきます。まさか○○君までも?バスケが嫌いになった訳じゃ無いのに…。とにかく悲しい日々が続きました。当時の関係者の方がこのブログを読まれていたら、時効ということで見逃してください。

 

 

当時、4年生になるR君の代、僕の記憶では4,5人居たのですが、気付けばR君一人になっていました。当時、僕が彼の立場だったなら絶対に辞めていたと思います。だって、同じ学年の仲間が全員辞めてしまったのですから…。

 

 

でもR君はガッツを辞めませんでした。「僕はバスケが好きだから続ける、辞めない」と言っていたそうです。

 

 

その時「この子が6年生になる時、絶対に寂しい思いをさせない、させてはならない!」と、痛烈に思ったことを覚えています。

 

 

R君は昨年、3人に増えた仲間達と、約30名の大所帯となった大勢の後輩達に見送られて楽しく卒団していきました。

 

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R君の初の晴れ舞台、フレッシュ大会。だけど4年生は一人しかいない。人数ギリギリの出場だった。

 

その当時、保護者の方々は、みなさん疑心暗鬼で誰を信じていいかわからない、誰が悪いのかわからない、といった感じだったと思います。少なくとも僕は毎日そう感じていました。

 

 

今では信じられないと思いますが、当時、平日の練習終わりに迎えに行く父親は僕一人でした。母達しか居ない体育館でしゃべる相手も居なく、ずいぶん肩身の狭い想いをしました…。

 

 

その頃、今僕には何ができるんだろう、と想い考え、勝手に始めたのが上木ガッツのホームページです。コーチ達には簡単な説明だけして、勝手に進めました。これも時効だということで許してください。

 

 

その時その時僕がコート脇で感じたことを、少なくてもいいから情報として記録し、更新していました。みんなの何か心の拠り所、温かい何かが欲しかったんだと思います。

 

 

そして、頼まれても居ないのに立候補して、卒団式で流すスライドショー作成もやらせて頂きました。

 

 

僕はそういったコンテンツを書くこと、創ることが好きです。頑張っている子供達の様子や、そのコンテキスト(前後関係、背景、事情)を描き、情報発信することで一人でも多くの親御さんが読んでくれれば嬉しいな、仲良くなればいいな、と単純に想っていました。

 

 

それが徐々に皆さんに浸透し、今は「共通認識」みたいなものになっていると感じています。(これ以外に適切な表現が思いつかないのですが…)

 

 

僕は「共通認識」とは、”他人同士の潜在的な共通項”と捉えています。

 

 

2年くらい前からでしょうか、このブログをみんなの「共通認識=コンテンツ」として育てて行きたいと想い始めたのは。

 

 

20年以上昔の話になりますが、僕が中高生の時は人気のTV番組を見て、翌日必ず友達とそれについて(関西なので特にお笑い系)真剣に議論し、実演し、ボケてしのぎを削り、親交を深めていました。

 

 

そんな人気TV番組だったり、お笑いのネタが「共通認識」だと想っています。

 

 

保護者のみなさんの話題の中で「あの親父ブログ読んだ?馬鹿だよねー、いい年こいてパフェ食ってねー。でも、なんか楽しそーだね」ってなれば、いいなぁって。

 

 

そして、いつか2014年の春先に起こった悲しい出来事を振り返り、これを風化させないために記録しておきたかったんです。

 

 

その悲劇から2年後の2016年3月、上木ガッツ親父団が産声を上げました。詳しくはこちらになります。

 


親父団も、ただの親父達の道楽活動ではなく、子供達のサポート、コーチ陣のお手伝い、母達のヘルプとして役立てるようにみんな頑張ってくれています。

 

 

今年はミニバスラストイヤーとして、悔いのない一年にしたいですね。時には本当にしょーもないブログですが、これからも覗いてみて頂ければ幸いです。

 

 

追伸

ご意見ご感想をお待ちしておりまーす!全て私一人の見解です。私的なブログですが、賛否両論なんでもかまいません。

 

おわり